社員を売上数値だけで評価しないでください!なぜなら…

従業員の人事評価をするには、できるだけ客観的な数値によって行うのが、もっとも合理的で公正な手法だと考える経営者は多いと思います。最近であれば、時間当たり生産性だったり、もっと単純にいえば売上かもしれません。しかし、評価を数値化(定量化)すればするほど、会社の経営を間違った方向に導いてしまうことがあるのです。
19世紀イギリスの教育改革の教訓
今から100年以上前の1862年、ヴィクトリア朝時代のイギリスで自由党議員だったロバート・ロウは、教育について「結果に応じて支払う」という新たな政策を打ち出しました。
生徒のテストの成績に応じて、その学校への財政援助を決定すると決めたのです。それは、彼が経済について精通した議員であり、企業活動の成否が会社の業績に連動するように、学校教育にも同様な市場原理を持ち込もうとしたのです。
具体的には、当時の国策でもあった国民の識字能力(読み書き)、計算能力(算数)をテストし、その結果を測定するというものでした。
ところがしばらくすると、不都合な事実が露呈することとなったのです。
結果を重視した教育の弊害
たしかに、生徒たちは山のような知識や算術を吸収しました。ところが分析能力や理論的思考がまったく養われておらず、本来なら本や詩から学ぶべき教養や教訓を学ぶことは、ほとんどなかったのです。
それはたんなる詰め込み教育であり、学問に興味を持ち、「もっと読みたい」「もっと学びたい」という本来教育にあるべき精神的欲求がそこには見当たらなかったのです。
同様のことが、アメリカのブッシュ大統領政権下に取られた「落ちこぼれゼロ法」でも見られました。生徒のテスト結果の悪い学校は監察処分を受け、先生はクビになるか飛ばされるかというペナルティを科せられたのです。
そうなれば、先生たちのモチベーションはいかに高い成績を生徒に取ってもらうかです。学ぶことの楽しさではなく、いかに良い成績をテストで収めるかというテクニックや丸暗記を重視する授業に変わっていってしまったのです。さらには、生徒たちの成績を上げるために不正をする先生まで現れたのです。
数字偏重がもたらす本質の喪失
数値で表せる結果だけにフォーカスすると、本来の意義は失われ、創造性や好奇心といった人が成長するために欠かせない教養は学べないのです。
会社経営であっても同じです。売上や生産性だけを追求して評価されれば、本来企業が果たすべき社会的意義は失われてしまいます。従業員が、仕事をすることで得られるやりがいや楽しみを感じることはできなくなってしまいます。 彼らの目的はいかに効率よく目の前の数字を上げるかだけです。それでイノベーションが起こることは絶対にありません。 もちろんビジネスをする上で数字は大切です。しかしそれは結果であり、目的ではないのです。